2011年3月30日水曜日

合理的な人間

世の中には合理的な人間と感情的な人間がいます。

ここで取り上げたいのは、合理的な人間の方です。

紀元前から現代に至るまで、人間の営みは変容してきました。
まだ多くの人間が、呪術や宗教的なものを信じていた時代では、合理的という考えはなかなかでてこなかったのはわかります。

時代は変わり、人間はどんどん進化を遂げてきました。特に目覚しいのは科学技術の発展でしょう。現代は電気がなくては成り立ちません。電気も科学技術の発展とともに発明されたものです。私たちはその恩恵をうけています。

先ごろの東北関東大震災では、多くの地域が停電し、日々の生活に異常をきたしました。

実際、僕もそのときに停電を経験したので、電気のありがたみは身にしみてわかりました。


さて、こうした科学技術が発展すると同時に、合理主義者と呼ばれる人たちが現れてきました。

合理主義は、近代を代表する主義のひとつでしょう(違ってたらごめんなさい)。

 物事を論理的に考え、合理的に処理していく。

これは、まさに現代の文化ですね。

科学と合理化は表裏一体なのでしょう。


自分が感情的な人間か合理的な人間かと聞かれれば、間違いなく後者です。大学も工学を専攻していますし、当然のことながら、思考パターンも合理的になります。僕はちいさい頃から合理的な人間の方でしたけれど・・・。

工学部にいる人たちは合理的な人が多いと思っていました。しかし、そうではなかった。意外と非効率的な人が多い。おまけに感情的になり、議論にならない人もけっこういます。あげくのはてには、議論から逃げ出す、私はよくわからないからいいやというようなことを言う人もいます。

けっきょくは、専攻がどうだからというわけではなく、その人の性格の部分も大きい気がします。身も蓋もない話ですけれども。

一番おかしな話は、そういった合理主義者は嫌われる傾向があるということです。これは経験上の話です。

何か言っても、「また屁理屈を」みたいなことを言われる。

早く作業を終わらせたり、必要のないものは省けばいいのに、「それは慣例だから」「ずっとやってきた決まりだから」とか言って、意味のない作業をする。紙に印刷しないで、webで見ればいいものを、わざわざ印刷する。

世の中には、無駄なことが多すぎるきがしてなりません。慣例や慣習にとらわれすぎる日本の体制はとても奇妙です。

合理的な人間がひとたび出ると、一斉に出る杭を打とうとかかる。某会社の元社長もそうでしたね。あれは出る杭が打たれた代表だと思います。

感情的が悪いとはいいませんが、合理的な人間を「感情的」に排除するのはいただけません。それはおかしい。どうして、バランスをとれないのか。どうして、物事を冷静に見れないのか。

そういうことが出来ない限り、悲しいことに合理主義者は嫌われ続けるのかもしれません。

でも、本当の合理主義者はそんな感情的な人間にかまってる方が非効率だとわかってるので、相手にしないでしょうね。

僕が言いたいのは、感情的に合理主義を排除するのはやめて欲しいということです。少しは耳を傾けて、いいところは尊重するべきだと思います。

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